1691(元禄4)年、住友家による別子開坑後、別子銅山稼行を母体に今日の住友金属鉱山が生まれた。その後、新居浜には、鉱山事業に付随した様々な業種が派生し、住友化学や住友重機械工業、住友林業、 住友共同電力など、今日の住友グループ企業が次々に創立され、現在では瀬戸内海沿岸有数の工業都市となり、 地域経済を牽引している。新居浜市は、1981(昭和56)年策定の第二次長期総合計画の中に、別子銅山の歴史を 観光のキールートとする基本計画を掲げ、 南部観光レクリエーション開発事業に着手した。以降、新居浜市内の 近代化産業遺産などを活用し、別子銅山に関する歴史や文化を紹介する、次のような施設が民・官により整備され、観光振興の面でも大きく貢献している。
(1)別子銅山記念館(民間)
(2)マイントピア別子(端出場ゾーン) (新居浜市・民間)
(3)マイントピア別子(東平ゾーン)(新居浜市)
(4)愛媛県総合科学博物館(愛媛県)
(5)広瀬歴史記念館(新居浜市)
この中でも中核施設となっているのがマイントピア別子である。マイントピアとは、マイン=鉱山、とユートピア=理想郷の合成語である。 この施設には鉱山鉄道や温泉保養施設(端出場ゾーン)、資料館や体験工房(東平ゾーン)など、多様なコンテンツが含まれており、子ども から大人まで楽しめるよう工夫されている。新居浜市ではこのマイントピア別子を中心に各産業観光施設の連携を図り、地域経済の活性化につなげている。
元禄年間から300余年にわたり、一企業が経営し、世界にも例のない鉱石の採掘場や運搬手段、製錬所の場所が時代の変遷とともに集積し、 日本を代表する鉱工業のミュージアム都市となっている。経済産業省が認定を行った近代化産業遺産のうち、3%の遺産が集積している。 全国に先駆け1986年の新居浜青年会議所の提言「銅(憧)景のまちづくり」から、継続的に産業遺産を活用した産業観光に取り組む点が評価された。 見るだけでは飽きてしまう鉱山跡を、親しめるようにテーマパーク化している。
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