御嵩町は、古くは近畿七道のひとつ「東山道」がこのあたりを通っていたとされ、江戸時代には主要街道「中山道」が整備され、「御嵩宿」「伏見宿」の両宿が置かれ、人や物、情報や文化が往来する地域として発展してきた。
古代から近現代にかけて御嵩町は、歴史、産業、経済など様々な分野で地域一帯の中心的な役割を果たし、歴史的な史跡や名所、産業遺産などが町内各所に点在しているものの、「観光」に結びつける取組が今までは十分に成されてこなかった。
しかし、平成18年度に御嵩町が策定した「御嵩町第四次総合計画」の中で、「中山道をもう一度みなおし、地域固有の財産として活用していくこと」が定められ、住民と行政とのワークショップが何度も繰り返されるようになった。こうした中、「御嵩宿地域再生構想」が策定され「景観づくり」と「イベント事業」に着目した住民団体「みたけ地域活性化委員会」が発足、手づくり景観修景作業がスタートした。
以降、およそ4年間にわたり、名鉄「御嵩駅舎」など建物3件の他、景観面での整備を地域住民が主体となって行うなど、「おもてなし」と「にぎわいづくり」のためのハード整備を進めている。
このようななか、「食」の部門では、地元のお母さんたちが「御嵩に特産品を・・・!」と「新たな郷土食」として「みたけ華ずし」の開発・普及について精力的に取り組んできた。この「華ずし」のすばらしさは間違いなく「見た目の美しさ」で、「牡丹」「バラ」「ささゆり」など、その種類も豊富で、食べてしまうのがもったいないほどである。
そもそも「みたけ華ずし」誕生には、御嵩町の歴史の中で脈々と受け継がれてきた古代の街道「東山道」、江戸時代の歴史街道「中山道」の存在、さらには、街道を伝って、人、物、文化などが往来し、「御嵩宿」発展の礎となった「大寺山願興寺」の存在がある。およそ1200年前に開創され、長い歴史に育まれてきた「願興寺」の寺紋が「牡丹の華」であることにあやかり、「華ずし」の切り口を「牡丹」とした。
巻き寿司の中身は、玉子や漬物などをふんだんに使い、切り口がきれいな牡丹になるよう、何度も改良を重ねてきた。当初は味にバラツキがあったが、今では味も定着し、「華ずし」の種類も10種類を数えるようになった。
「みたけ華ずしの会」では、目先の利益にとらわれるのではなく、「華ずしを新たな郷土食として普及させたい!」そんな強い信念のもと活動に取り組んでいる。昨年からは「御嵩宿」内にある「御嵩宿わいわい館」で毎週火曜日、提供と講習会を行うようになり、午前中は地元の上之郷中学校産の「舳五山茶」とセットに20食を販売。午後からは20名を対象に「華ずし講習会」の開催と、着実な普及活動を行い、毎回近隣はもちろん、岐阜県内、愛知県からも多くの参加者が訪れるようになった。
平成23年度には千名を超える方々が「みたけ華ずし体験」を受講、「御嵩といえば華ずし」とまで言われるようになり、バスツアーによる「華ずし体験」が商品化されるなど、「短時間滞在・体験型プチ観光」のモデルとして定着を図っていくともに、日本を代表する食文化のお寿司を海外からの誘客も視野に入れ、日本の食文化の代表として育てていく取り組みを続けている。
歴史街道と食を結び付け、規模は小さいものの丁寧に体験メニューを積み重ねている点などが、歴史街道の宿場として発展した文化を活用した観光振興の要となる可能性が大きい。
歴史のストーリーがしっかりしており、「みたけ華ずし」という魅力的な「食」資源を開発し、さらに種類を拡大させるとともに、品質の高度化を図ることで、商品化(販売・講習会の開催)に結びつけた点が高く評価される。
日本を代表する食文化であるお寿司を活用して、海外からの誘客を視野に入れ、日本の食文化として育てていきたいと取り組んでいる点が評価される。
NEXCO中日本との連携により高速道路サービスエリアでの新メニューの採用や、バス会社との連携によるバスツアーの展開など、民間企業との連携によるビジネスモデルへの試みが評価される。
<御嶽宿景観修景プロジェクトにて修景された「御嵩駅」>
<御嶽宿景観修景プロジェクトにて設置された「御嶽宿灯籠」>
<「みたけ華ずし」高速道路の新メニュー化のために準備した桶盛り>
<「みたけ華ずし」体験バスツアーの様子>
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