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 DMO研究会議事録

2015.10.19

第11回DMO研究会 「着地型観光からDMOへ」

 観光地がマーケットや経済環境の劇的な変化に対応し、地域間の競争に打ち勝つには、個々の観光施設任せ、行政任せの従前の戦略ではなく、関係者間の合意形成を 図りながら、マーケティングに基づいた観光戦略のもと事業を実施していく、DMOの機能による観光地域づくりが必要ではないでしょうか。第11回目のDMO研究会は、「着地型観光からDMOへ」と題し、長野県の昼神温泉エリアサポート (昼神温泉観光局)局長の村松晃氏を講師にお招きして、これまでの地域における取組みを紹介していただきました。
※資料等も含めた会議録のダウンロードPDFファイル

講師 村松 晃 氏


▼昼神温泉の低迷期を脱却するための打開策
 昼神温泉(長野県阿智村)は、1973年に当時の国鉄のトンネル工事の際に偶然にも発見された温泉地で、第二次世界大戦以後に誕生した新興温泉地の中で、 これほどまでに発展を遂げた温泉地は、昼神温泉と1956年に掘削された山梨県石和温泉のみであるといわれています。 出湯35年で約40万人の宿泊者数を数えるまでになった昼神温泉がここまで発展を遂げた理由としては、中央道開通に伴う中京圏からのアクセスの良さ、 PH9.8のアルカリ性単純硫黄泉が非常に肌に馴染みやすい泉質として高く評価されたことなどが挙げられます。
 しかしながら、2005年の愛知万博以降、宿泊者数は下げ止まらず、旅行代理店や中京マーケットに依存した体質からの脱却が求められましたが、 その打開策がなかなか見いだせないという状況になり、村や昼神温泉の旅館は長期戦略を考えていく必要に迫られました。


▼昼神温泉エリアサポート(昼神温泉観光局)の誕生
 しばらくそのような低迷期から脱却するために、地域マネジメントとプロモーションを行う組織・役割が求められ、2006年12月に新しい観光振興組織として、 村、旅館経営者、地元金融機関の出資により、株式会社昼神温泉エリアサポート(昼神温泉観光局)が設立しました。
 昼神温泉エリアサポートでは、従前の行政主導の誘客施策ではなく、独自で将来に向けた中長期の戦略に基づく立案から意思決定、実践、振り返りという PDCAサイクルをスピードアップして進めるため、観光産業に特化した専門のスタッフを配置し、行政や既存の観光組織と連携することで、新たな道を進みました。
 設立当時、従来の「売りたい物を売る」から「売れる物を売る」というシフトチェンジを行い、観光客が昼神温泉をどう認識しているかのデータがなかったため、 まずは昼神温泉の現状や問題点を洗い出すという目的で首都圏キャンペーンを実施し、マーケット調査・分析を行いました。
 その結果、温泉の泉質の良さ、食事が良いことなどが評価される反面、首都圏からのアクセスの悪さ、近隣に観光スポットがないことが挙がりました。 また、これまで中京圏に依存していたマーケットの拡大を目指すうえで、首都圏での昼神温泉の知名度の低さを目の当たりにし、この結果を受けてその後の 3年間は明確な拠点主義を実践し、昼神温泉に特化した情報発信、マーケットの拡大を目指した地域戦略、プロモーション活動に取り組みました。

左)びゅうの旅行商品として販売

右)中吊り広告での商品PR

(実践例:JR東日本とタイアップした誘客キャンペーン)


▼お客様の声から生まれた半日バスツアー
 昼神温泉エリアサポートでは、前述の首都圏向けのアンケート調査結果にあった「昼神温泉は近隣に観光スポットに乏しい、見るところがない」という声を受けて、 旅行業第二種を取得し、昼神温泉の宿泊客を対象にした半日の周遊バスツアーを開始しました。阿智村の観光資源のなかには、一般には知られていないが行ったら 楽しんでもらえるスポットがあり、それらを3時間かけて巡る滞在するプログラムとなっています。
 2008年(平成19年)スタートした半日ツアーは、当初2000人を超える程度でしたが、その後、阿智村を中心に近隣 の飯田市や木曽町なども巡るツアーやとうもろこし狩りやりんご狩りなどの体験型のツアーも造成していくと、その人気は年々高まっていき、スタートして3年間は 試行錯誤のもと、売り上げも伸び悩みましたが、4年目から会社に収益をもたらす事業となり、自主財源を確保する事業として会社に寄与しています。
 しかし、こうしてバスツアーは成功事例として収益を上げる事業に成長し、お客様の満足度向上にも貢献しましたが、まださまざまな「壁」が残されていて、 バスツアーによってお客様の満足度は向上したものの、次の誘客(リピーター)にはつながらず、実態として入込客が増えていかないこと、村外での評価は高いが村内(村民)には 浸透していないこと、お客様の多様化するニーズに対応しきれないこと、などがツアー成功と同時に発生した課題として残りました。


▼地域魅力の見直しから生まれた日本一の星空ナイトツアー
 そんな状況を打破すべく、阿智村では2011年6月に、阿智村観光協会主導で、昼神温泉の旅館、農林業、商工業、周辺の観光業、スキー場等地元関係者はもちろん、 議会、地域住民にも参画していただき、地域の魅力を再度見直そうとワークショップを行い、温泉以外で観光の目玉になる資源を模索した結果、 選ばれた「キラーコンテンツ」が村から見える星空でした。
 阿智村の星空は、当時環境省が実施していた全国星空継続観察(スターウオッチング・ネットワーク)という取組みで2006年(平成18年)に日本で星が最も輝いて見える場所の 第一位に選ばれ、この「日本一の星空」を前面に出すことで、昼神温泉あるいは阿智村の誘客を図っていこうという結論に至ったわけです。
 旅行商品も作ろうと「天空の楽園~日本一の星空ナイトツアー」を2012年7月27日にスタートしました。スキー場のゴンドラに乗って標高1400mの山に上り、 阿智村の満天の星空を鑑賞するもので、当初はお客さまも少なく、先行き大丈夫かなと思ったのですが、これが段々といろいろなものを巻き込んでいます。
 最初に、「星の村」というブランドづくりに着手し、旅行会社にもメンバーとして関わってもらいながら、非日常の演出、テーマに基づく演出、村全体のコーディネート、 宿泊滞在型のプログラムという要素を関係者、地域の声を聞きながら進め、あわせて対外的なPRや旅行商品づくりにはプロの意見も必要であり、JTBが全国紙の全面広告に 出した広告のキャッチコピー「ただのいつもの夜空だと、住んでる人は思っていた」は、住んでいる人は当たり前と思い特に何も感じないが、ほかの地域の方々はこれをすごい宝だと思う、 一つの資源が宝に変わる――2011年に立ち上がったプロジェクトでは、まさにそれを模索し探していたのだと思います。
 イベントも展開し、JAXAのタウンミーティング等も行いました。また大手旅行会社には「昼神温泉の星を見に行こう」という商品もつくっていただいています。つい最近も、地元の子どもたちに 宇宙に対して関心を持っていただくため、宇宙飛行士・毛利衛さんの特別講演会を開催したり、また、『死ぬまでに行きたい!世界の絶景日本編』(三才ブックス)という30万部以上ヒットしている 本に阿智村の星空が取り上げられ、我々が想像し得ないかたちで阿智村の星空は全国に知れ渡ってきています。その後、「ナイトツアーでプロポーズをして成功した」という声をよく聞くようになり、 NPO法人地域活性化センターより恋人の聖地にも認定していただき、ますます星の村ブランドの確立に向けて取り組んでいます。


▼スタービレッジ(星の村)阿智
 「スタービレッジ阿智」。これは村全体の取組みとしてやってきましたが、阿智村観光協会、昼神温泉エリアサポート、昼神温泉ではなく、 村としての取組みなので村長をトップにした「スタービレッジ阿智協議会」をつくり、メンバーにJTBも参画していただきながら、展開しました。
 設立した2012年のツアー参加者数は、5,000人の目標人数に対して6,535人、2年目の2013年が2万2,000人、3年目2014年3万3,000人と軒並み想定している 目標をはるかに上回る結果でお客様がお越しになりました。そして、今年2015年の目標は、去年の3万3,000人の実績に対して5万人という設定をしたところ、 もしかしたら7万人にも届くのではないかという状態です。ただし、それだけ多くのお客様が阿智村に訪れるということは、裏を返すと、例えば地域の住民の なかにあまり星の事業に興味のない「夜こんなに人が来ても困るんだよ」という方からの苦情が役場に届いたり、阿智村を訪れる車で周辺の道路が混雑して、 ピーク時には中央道の料金所を越え恵那山トンネルの入口付近まで大渋滞することもあったりと、安全面などの部分における課題も浮き彫りになりました。


▼実績が村全体を動かす
 こうして星空ナイトツアーが徐々に成果を上げていくと、情報がテレビや雑誌などで紹介され、これまで主に中京圏に限られていた客層が関東や関西圏、 更には九州や東北地方といった遠方にも拡大し、阿智村が「日本一の星空が見える村」として全国で認知されるようになってくると、商工会が、 星だけ見てもらうだけでなく、地元で土産物を買ってもらったり、飲食をしてもらうため、国の補助金を使って地域流通通貨「スターコイン」を導入する取組みを始めます。 これにより、これまで旅館に泊まるのみで村内を散策しなかった宿泊客が、食堂や土産物屋に立ち寄るようになって、これまで村民のみをターゲットにしていたお店が昼神温泉を 訪れる多くの観光客も相手にして商売を始めるようになれば、村も活気づき、店側もお客様により満足していただけるような仕掛けやサービス提供が自ずと増えていきます。


 また、同時に住民にも阿智村が星の村としてやっていくことをより理解してもらうため、特に阿智村の子どもたちに対してスターマイスターを育てる取組みを 学校や地域のお祭りなど通じて実施しています。この動きが広がれば、阿智村を訪れる人に星のことを聞かれたら基本的なレベルの案内ができるようになったり、 将来ひょっとしたら毛利衛さんのような宇宙飛行士が阿智村から誕生するかもしれません。


▼「ビジネスパートナーの活力」こそ阿智村観光の推進力
 昼神温泉エリアサポートは、ある程度昼神温泉の観光、昼神温泉の将来について託された会社ですが、観光における推進力という意味では、 もちろん阿智村の職員だったり、スタービレッジ関係者も頑張っていますが、大きな推進力をもって物事を動かしているのはビジネスパートナーの活力ではないでしょうか。
 阿智村・昼神温泉として、星をキーワードにした全面的なプロモーションをやったことがなくても、「日本一の星空」というキーワードがあれば、 村自体ではなかなかできないものを、ビジネスパートナー(民間企業)の活力によって、阿智村とか、昼神温泉とか星空をステージにした企業ならではのイベントを率先して展開してくれるのです。
 こうして、これだけ大きくなった阿智村・昼神温泉も、現在「阿智村観光局(仮称)」ということで組織改編をやっているところです。阿智村観光協会もありますし、 昼神温泉エリアサポート(昼神温泉観光局)、そして全村的な取組みとしてのスタービレッジというのも出てきたなかで、もっと戦える集団、将来訴求力を持った組織を目指して取り組んでいきます。


熱心に聞き入る参加者