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 DMO研究会議事録

2014.07.10

第6回DMO研究会

日本型DMOの成功事例

観光庁の「観光圏」事業の中に「観光地域づくりプラットフォーム」という言葉が登場し、また観光先進国・欧米におけるDMO(Destination Management Organization/Destination Marketing Organization)に注目が集まっています。
第6回は、各地の観光地域づくりのケースを通して、日本型DMOとは何か? また、観光地域づくりの原点について、観光地域づくりプラットフォーム推進機構の清水慎一会長にお話を伺いました。従来の観光振興事業を振り返って総括することの重要性、それを踏まえた上での観光を手段とした地域づくりの考え方について、多くの示唆が与えられました。

※資料等も含めた会議録のダウンロード(PDFファイル)

 
▼日本型DMOの現段階での到達点

まずはどのようなプロセスで我々はDMOについて考えてきたのか。
第一に、観光地域づくりの背景です。1980年代~2000年の初頭まで、「行政」、「観光協会」、「観光事業者」の3者による観光振興が圧倒的でしたが、景気低迷の上に地域間の競争が厳しくなり、この観光振興手法の成果が上がらなくなってきました。2003年、小泉内閣時に「観光立国」が宣言され観光への期待が非常に高まった一方、宿泊観光客は減少の一途という事態に、「観光立国下の観光の低迷」とも揶揄されました。

なぜ、なかなか成果があがらないのか? ここが議論の原点です。これまでのやり方に対する総括を行うと同時に、観光大国の欧米を見てみればそこに、DMOという概念があると気がついたわけです。DMOについて勉強する中で、やはり日本にもDMOのような「機能」が必要ではないかと考えるようになりました。それをしっかり取り入れつつ、日本のさまざまな地域の風土、文化に合った組織形態や新たな展開を考えていく必要があるというのが、現時点での「日本版DMO」の到達点です。

ここで、観光振興に関する基本的な問題意識を見てみます。主に次の4点です。①従来型観光振興の現状と課題に対する認識。②観光によって豊かな地域づくりを行うための「目標」と、その達成のための「進め方」に対する一定の合意形成。①と②の議論にはかなりの時間がかかります。要するに、①、②があって初めて、観光振興推進組織の「機能と人材育成」(③)やその「場」と「ガバナンス」(④)の議論があるのだということです。

▼地域の取組事例(1)株式会社南信州観光公社(長野県飯田市)

南信州観光公社の設立は平成7年。飯田市の場合、先ほどの「問題意識」の中の今までのやり方の総括(①)、観光地域づくりの目標と進め方の議論(②)をしっかり行っています。①、②の反省を踏まえて、新たな窓口組織が生まれてきたわけです。近隣市町村とで出資した組織をつくり、最初から補助金は入れず、今や完全に黒字化を実現。配当も出している独立採算経営です。経済効果もきちんと算出されています。民宿などでの地元素材の調達なども含めると10億円近くになります。

事業の中心は体験教育旅行ですが、最近のヒットは、地域の中の名桜を案内人の「桜守」と一緒に巡る「桜守の旅」です。各集落にある桜も花見の対象とし、集落の高齢者たちが元気になるという実質的な集落支援です。約1カ月間開催でビジネスとしてもそれなりに儲かります。そのほかにも「小京都飯田歴史散策と和菓子探訪の旅」や「名山トレッキング」なども行っており、来訪者は年間4万人近くです。昼神温泉以外に宿のないところでなぜこのような展開ができるのか。700軒の民宿です。来訪者にはそこに泊って自然体験をしてもらいます。つまり、南信州観光公社は地域のコーディネイト機能を持ったランドオペレーターだと言えます。

そして、観光地ではこれが重要ではないかと思いますが、類似業種への経営的悪影響やメディアへの露出の結果、地域に汚名をつけてしまい地域の宿泊や観光施設に副次的に悪影響が波及する、といったことが顕著に表れています。天竜川の船下りの事故は静岡側で起きたものですが、県境を挟んで長野県でも同じネーミングであったため、長野のほうに誰もお客さんが行かなかったという期間がありました。このように、一事業者の事故にとどまらなくなってきていると言えるのではないかと思います。何よりすごいのは、その結果、56所帯114人の人が飯田市に移住したということです。南信州観光公社の実践と、それを市がバックアップして行っているこの事例は、まさに地域の生き残り策の最たるものだと言えます。

▼地域の取組事例(2)株式会社小値賀観光まちづくり公社(長崎県小値賀町)

佐世保港から船で約3時間、かつて1万人の町は今では2,700人に減少し、町がこの先成り立たないという現実の中、大阪出身の元劇団(秋田県)の役者だった高砂さんが2004年に移住してきました。

子どもたちは高校を卒業すると島外に出てしまいます。しかし、子どもたち(卒業生)にアンケートを取ってみると、3割が地元で働きたいと答えたそうです。そこで、高砂さんは一念発起して、小値賀町に雇用の場をつくるには観光しかないと取組み始めたわけです。現在、観光客数は年間約5万人。何もないところから民泊受け入れ民家70軒をまとめあげ、宿泊客も約年間1万4,000人。その結果、小値賀観光まちづくり公社に20人の雇用が生まれました。この10年間でIターン移住者は120名になりました。

小値賀の良さを都会の人たちに伝えるのはなかなか難しく思っていた当初、アメリカのアイゼンハワー財団の高校生のホームステイ受け入れに挑戦しました。この「ピープルトゥピープル」の参加者アンケートで、なんと小値賀プログラムが世界ナンバーワンになったのです。これを契機に小値賀が教育関係者に知られることになり、あっという間に教育旅行などで1万人近くが訪れました。しかし、教育旅行は1人6,500円です。もう少し質が高く、単価の高いお客様を取る必要があるとアレックス・カーさん(東洋文化研究家、小値賀町観光まちづくり大使)が提案して、古民家活用事業を始めました。これが、飛躍的にステップアップするきっかけになりました。

小値賀のケースの最大のポイントは、当時の町長と観光協会長が地域の合意形成のために動き、観光協会・自然学校・民泊組織を1つにして高砂さんが活躍できる『場』を整えたことです。結果的に、観光客に対する受付窓口を一本化し、法人化で責任を明確化しました。その後、国の補助金などを受けるのはNPOおぢかアイランドツーリズム協会、実質的な事業は株式会社小値賀観光まちづくり公社というように業務と役割を分けました(小値賀観光まちづくり公社は町からの補助金はゼロ)。小値賀観光まちづくり公社の専務取締役に高砂さんが就任し、現在はここがワンストップ窓口として、まち全体をマネージメントする機能を持ち、マーケティングも行っています。町民が主役の観光推進組織が、プロとして責任と目標を明確にした例です。

(左)講師の説明に熱心に聞き入る参加者              (右)講師の清水氏



▼地域の取組事例(3)一般社団法人信州いいやま観光局(長野県飯山市)

信州いいやま観光局は、既存の観光協会の機能を変えた事例です。
昭和35年に飯山市観光協会が発足(事務局は市役所観光課)。主体のスキー振興に加え、グリーンツーリズムを始めました。平成16年に観光協会を市から分離し、初めて専任要員を配置しました。さらに平成19年に一般社団法人にして旅行業登録。最終的には、市内の施設を管理する第3セクターの飯山市振興公社も統合して、平成22年に「信州いいやま観光局」が誕生しました。
飯山の取組で全国のモデルになるものは、“飯山旅々”という311のプランです。これは集落をほぼ網羅する体験プログラムです。地域の多くの人たちが参画する中で、売れる商品と売れない商品の差に自ら気がつくことをポイントにしています。この企画は、信州いいやま観光局の木村さんが手がけました。
今では民宿の稼働率も上がり、教育旅行の受け入れ人数も増えてきました。観光協会が一律に駄目なのではなく、観光協会の機能と人材配置、目標をしっかり議論することが大事です。

▼地域の取組事例(4)一般社団法人みやぎ大崎観光公社(宮城県大崎市)

一般社団法人みやぎ大崎観光公社は、まだ評価が定まっていません。ここのポイントは着地型観光総合窓口です。これまで旧町村でバラバラに行ってきた観光振興のうち情報発信について、「大崎ブランド」として一元的にアピールすることが狙いです。平成19年から議論をして平成20年のJRの宮城デスティネーション・キャンペーンのときにできた「宝の都・大崎観光推進協議会」を民間主体の連携組織にしようと平成22年に準備会を立ち上げ、平成23年12月から動き出しました。あくまで民間だけで組織をつくり観光協会を取り込まなかったのは、大崎市には、鳴子、鬼首(おにこうべ)、中山平と、歴史があり、地域に根差した観光協会があるからです。
まだまだ実績は少ないです。営業をリードする中核リーダーがいないためになかなかうまくいきません。が、この段階で行政が入ると、行政主導になってますますうまくいきません。今が正念場です。

▼まずは観光統計(数値データ)の把握から

ところで、観光庁の観光実態調査(1,742の市町村から1,470の回答)によれば、統計を把握していると答えた60%の市町村が持っているデータのほとんどが「入り込み客」でした。消費額に至っては把握している市町村は全体の18.6%です。満足度やリピーター率に至っては、それぞれ5.4%、4.8%です。これでは、観光客のニーズや動向の変化に対応できません。やはりまずは統計からだと思いました。リピーターと滞在顧客をどうやって増やしていくかが重要なのに、マーケテイング調査もないプロモーションばかりでは無理なわけです。

▼多様な主体が参画する観光振興に必要な機能

「従来型観光振興の問題点」をまとめると、まず、全体最適ではない。自治体の活動は行政区の範囲を出ておらず、つまり、顧客志向ではない。持続しない。プロがいない。目標不明確。責任を取らない。これらをしっかり反省する。その上で取り組む観光地域づくりには、次のようなステップがあります。①現状のあるべき姿を考えて、現状の課題に気が付く(地域の将来に希望が見えることが重要)。②課題の解決策として、交流人口の拡大を考える。③交流人口の拡大のために地域力を向上させる。これらの議論をせずに着地型観光商品や6次化商品のつくり方やテクニックをやろうしても難しいわけです。
これからの観光は、地域へ「行こうよ型」から「おいでよ型」になり、地域主導になります。つまり、住民や他産業を含めた「みんな」が主体になります。そのためには官と民、地域と地域、民と民の壁を除く「マネージメント機能」と、ゼロサム競争で地域間競争が厳しい状況の中でお客様に来てもらうための「マーケティング機能」が必要となります。

▼日本型DMOの行方

では、日本型DMOはどこに行くのか。事業体としてハードの整備、または支援というのは一つの方向です。また、空き家の活用の運営、食の認証・品質保証、環境や歴史資産の保全活用などにDMOがかかわります。富士山の入山料のように、来訪者から徴収する場合も、DMOがその役を担います。私は、日本型DMOを特区にできないか考えています。そのためにも、特に金融関係、資金調達に関する勉強会は大至急やりたいと考えています。日本型DMOの行き先は、私はある意味、行政にも民間にもできない新たな領域への挑戦になるのではないかと思っています。