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 Case Study

2016.02.01

シリーズ着地型観光考

着地型観光を手段に、地域に10次産業を

(株)四万十ドラマ(高知県四万十町)

9割が山林、人口約3000人の高知県四万十町が元気だ。
その動きの核となるのが、1994年に四万十川流域の旧大正町、十和村、西土佐村が出資・設立した株式会社四万十ドラマ。1999年には公的補助ナシの経営を確立、2005年には住民が株式を持つ「住民株式会社」に。2011年度の売上高3億2千万円の大半を直販や卸などの営業で稼ぐ。
卓越した商品力で来訪者を呼び込み、さらなる雇用を生む産業へと前進し続ける四万十ドラマの戦略とは?

道の駅四万十とおわ。緑の看板が印象的だ。

 
▼キーワードは「ここに(で)しか」 

国道381号線沿いに車を走らせていると、ふいに、深緑に白抜きの「とおわ」の文字が目に飛び込んできた。株式会社四万十ドラマが経営する道の駅「四万十とおわ」(以下、とおわ)である。オープンしたのは、2007年。オープン15カ月で来場者20万人を達成し、今では年間約15万人が訪れる人気のスポットに成長した。

の静かな山奥の小さな道の駅が、なぜこれほどの集客力があるのか。
「とおわ」が建つ国道381号線の交通量は、平日は1日平均1000台未満だ。「だから、必然的に商品数は絞られます。うちのものか高知県原材料のものなど厳選した良品だけしか置いていません。他の道の駅と比べたら一目瞭然、違うでしょう」と、四万十ドラマ社長の畦地履正さんは説明する。

店内はそう広くない。並んでいるのは500アイテムほど。通常、地域商品の利益率は2~3割だ。
「とおわ」も売店の売上は年間1億程度。だが、売上増のために、ナショナルブランドを置く、他地域製造の商品をラベルだけ換えて売るようなことは絶対にしないと、畦地さんは強調する。
「(利益率が低くくても)やらないと地域はダメになる! だって、これまでさんざんダメにしてきたじゃないですか」

四万十ドラマが手掛ける事業に単発・単独のものはない。
常に、物事をトータルで捉え、そこに複層的に地域の人やその動きを絡ませ、有機的につなぎ、地域の総合力によって利益を増大していく。「とおわ」は、ここにしかないもの、ここでしか食べられないもの、ここでしか体験できないものを提供し、町の資源を使って開発した商品を初披露するプレゼンの場でもある。いわば、アンテナショップ的な位置づけなのである。

▼予測は、よくて年間5万人程度

四万十町に道の駅の建設が決まったのが2006年。当時、JAも商工会も合併で地域からなくなり、役場以外で地域の公共的仕事を担える唯一の組織が四万十ドラマだった。
営業(卸、直販など)ですでに1億5千万円を売り上げていた実績を買われ、道の駅の指定管理事業者として白羽の矢が立ったのだった。

しかし、畦地さんを含めたった4人のスタッフは全員、「経営」の素人。プロのコンサルタントに頼み、試算してもらったところ、結果は、「よくて年に5万人」の見通し。なんとか3年で黒字化を目指すことを考えたが、「下手したら1年で3000万の赤字。債務超過でいきなり潰れるかもしれないということも頭にあった」と、畦地さんは述懐する。

「もう、10人いたら9人が反対でしたよ。『こんなところにつくっても絶対人は来ん』と」

だが、ここからが、畦地さんの真骨頂。
「10人のうちの1人、つまり1割はプラス思考。人口3000人の村の1割は300人。その300人が毎日来店してくれるようになれば、300人×1000円(客単価)×30日=900万円×12カ月=1億円です。ならば、1億円÷1000円=10万人がここへ来るというシミュレーションをしました。僕の頭の中で9割の反対に勝ったと思いました。
四万十ドラマの原動力でもある「逆転の発想」である。

蓋をあけてみたら、1年目から黒字。以来ずっと黒字だという。
「『1割』の応援団の協力なくしてはありえなかった」と、畦地さん。
「1割の応援団」とは、年間1億5千万円を売り上げる直販・卸商品の原料供給者たちである。彼らが「一緒にがんばろうや」と、全力で走ってくれた。
「それまで高知市内に野菜を販売に行っていたおばちゃんたちが、ここに出してくれるようになった。そのおばちゃんたちは、環境マネジメントシステム『ISO14001』認証を取得しました。ここが定休日の水曜日には自分たちの野菜を使って、『とおわ食堂』でバイキングもやってます。それ目当てで来る人たちも多いですね、最近は。ほかにも、近くのアユ市場の人たちがここでアユを焼いてくれたり、お茶組合が協力してくれたり。いろんな人たちがかかわって助けてくれています」

その「チーム・四万十」が、今や年間15万人を呼び込んでいる。この数字は、レジ通過者のカウントであるから、実際には家族での来訪などを含めるとその倍の30万人は来ているのではないかと、畦地さんは推測する。
人が人を呼ぶ町なのである。

▼いつも、中心にあるのは四万十川

天性の営業マンである畦地さんだが、地域のさまざまな人や組織の気持ちを盛り上げ、ひっぱり、動かしていく秘訣はどこにあるのだろうか?
「秘訣というより、いい意味でなにかやろうという方向性が同じだからですよ」 インタビュー中も、地域住民や顔見知りが次々と畦地さんに声をかけてきて、それに丁寧に笑顔で応対。
「大事なのは、共にリスクを負うこと。そして、みんなが良くなる。そうしないと続かない。それが一番です」

四万十ドラマが最も大切にしていることを尋ねると、「それはもう、地域ですよ!」と、速攻で答えが返ってきた。
「地域のヒト、モノ、コト。この3つ」
地域の人たちがかかわり、地域にある資源(モノ)を使い、環境循環というコトに結び付ける。根底にあるのは、「いつでも主役」である四万十川への畏怖の念と深い愛情である。 四万十川という地域の宝に生かし生かされてきたことの意味を具現化することが、四万十ドラマのミッションとも言える。

四万十ドラマの環境循環への取り組みを象徴するのが、四万十町と同社を一躍有名にした新聞バッグだ。高知新聞の古紙を使った地域の女性たちの手作り品で、現在、米ボストンのミュージアムショップやニューヨークのポール・スミスで販売されている。

新聞紙の原料は木材だ。かつて八百屋や魚屋が客にそうしたように、購入した商品を新聞紙にくるんで渡す習慣を、四万十の森を守るリサイクルの意味で2002年から復活した。

ある時、アルバイトの女性が手作りしてきた新聞バッグに、地域の商品を入れて海外輸出事業の商談会に出席した畦地さんは、アメリカのバイヤーに絶賛される。
「そのバッグ、売れますよ」
一週間後、アメリカから新聞バッグ1000個の注文が舞い込んだ。
四万十町の新聞バッグブレイクのきっかけとなった出来事である。

今では「折り方」の特許を出願し、インストラクター養成講座もつくった。形のバリエーションも増え、「とおわ」のレジ横でも作り方付き1個1000円で販売。「四万十の森を守る」リサイクルを一歩進めて、新聞バッグ販売益の一部を森林保全に充てている。

四万十ドラマは、地域資源を使ったモノを介して地域を売っていく集団だ。
基本にあるのは、「ローカル」、「ローテク」、「ローインパクト」の3原則。
「とおわ」をはじめ、四万十ドラマのスタッフには若者が多い。彼らのうち4分の3が地元住民。残りの4分の1はIターン組で、インターンシップで町に滞在した160人のうちの20人が住みついたのだという。

若者たちは、常に前進している四万十ドラマに未来の可能性を感じたのだろうか。
「それに、ここに居ながらにして、普段会えないような著名人も含め、いろいろな人たちと会って交流できる、それが魅力なんじゃないでしょうか」

畦地さん。「1次がしっかりしないと、2次も3次もない。1次産業というベースがないと、僕らは観光もできない。たとえば、お土産品も、どこからか持ってきて売ったら、魅力のない地域になります」



▼着地型観光も「産業」にすべき

「とおわ」ができた2007年、四万十ドラマは、四万十川流域の観光資源を連携させて、回遊・滞在型観光ができる集客交流の仕組みをつくろうと、「四万十また旅プロジェクト」を立ち上げた(経済産業省の平成19年度広域・総合観光集客サービス支援事業)。それまで点で活動していた体験事業者、宿泊事業者、観光協会など観光事業者に広く呼びかけて立ち上げたこのコンソーシアムは、「ちいさな旅、くりかえす旅」をコンセプトに、高い高齢化率さえ「生活文化を伝えられる高齢者が多い」というプラス要因と捉え、「手間ひまかかる」、「骨を折ることが楽しくなる」数々の体験プログラムを商品化してきた(事務局:四万十ドラマ)。

畦地さんは常々、「『着地型観光』を(単独で議論するのでなく)産業にするべき」と主張している。
「なぜならば、僕らは四万十ドラマという組織を通じてご飯を食べているから」
つまりは、地域を養う=多くの雇用の場を生み出すための手段の1つが観光であり、それも四万十町では単独では成立しない。第1次産業という町の土台となるものがあってこそ。それが四万十町のアイデンティティでもある。

第1次産業の生かし方を考えるプロセスの中で第2次産業(加工品づくり)が起こり、第3次産業(売る役割の人ができ、販路開拓を行う)が必然的に動き出し、ようやく地域が変化していく。
「だから、観光+産業なんですよ」
畦地さんの言う産業とは、雇用を生むビジネスとして成立しうる事業のこと。観光という手段を使って、基盤産業をさらに大きく発展させていくためには、「1次+2次+3次+4次=10次産業=十和産業だ」とも言う。
4次とは、畦地さんいわく、「消費者」。十=プラス、和=人を呼び寄せる から、引き寄せ産業だと笑いながら、「そうしないと、着地型観光はできない」とまで言い切る。
「体験型プログラムは、インストラクターや宿がなければ、食える事業にはならない。だから体験商品をどうやってつくるかではなく、どうやったら四万十ドラマにかかわる人たちが食えるかなんです」

今から30~40年前、この地域はしいたけの市町村別生産量全国1位だった。10億円近い売り上げがあり、年収1000万円という農家がゴロゴロいた。「当時は、四万十川にアユもうなぎもいっぱいいた。春にお茶摘んで、秋から冬にかけてしいたけをつくって……とても豊かだった」
先人たちが手を入れ守ってきた大自然の恵みという「遺産」で飯を食ってきたのだと、畦地さん。
けれども、この20年でその遺産を食い尽くしつつある。
「たとえば、栗やお茶の木が古くなって、人も高齢化。後継者不足です。だから、僕らはそこにもう1回、力を入れていこうと」

▼栗園再生から広がるカフェ構想

今が正念場、踏ん張りどころなのだという。
年間500トンあった栗の生産量が50トンを切る状況になっている。「栗の木が古くなってもう実がならなくなって。もう1回植えんといかんがですよ。今、1万本ずつ毎年植えていっていますから、近い将来また500トンが収穫できます」
生まれ変わる栗園は、栗という原料を生かして加工品などの商品化を行うビジネスの基盤となる。地域の人たちと地元の技術が活きるための加工場を作り、商品のデザインも、販路開拓も自前で行う。

「普通は1個10~20円の栗が、うちの渋皮煮にしたら、1個200~300円です。10倍の価格は、丁寧に皮を剥く、煮るなどの手間暇。業者に全部任せるから地域にお金が落ちない。手間暇をお金にして地域に落とすのが、僕らの役目です」
四万十川流域の栗は大粒で甘い。ちなみに、高さ10センチ程度の瓶づめの「しまんと地栗渋皮煮」は1個3000円。毎年完売する人気商品だ。

四万十ドラマの次なる「仕事づくり」計画は、この栗事業である。
すでに農業法人を設立済みで、「とおわ」の裏に栗やお茶、四万十スイーツをつくる加工場を建て、来年の春には敷地内にお茶栗カフェをオープンさせる予定という。カフェでは、四万十紅茶を主体にラテ風の飲み物などを加えたドリンクメニューを提供し、隣接する工場からの出来立てのスイーツがイートインできる。
四万十産の物産から、あるいは旅や体験プログラムから入ってきた来訪者たちをさらに四万十町ファンへと囲い込む仕掛けは着々と進んでいる。

並んでいる加工商品の中で目を引くのが、四万十ドラマが手掛けた地元商品だ。統一されたデザインには「面」としてのインパクトがある。左写真の後ろの棚の右端商品が、「しまんと地栗渋皮煮」

▼地域シンクタンク、四万十ドラマ

こうした発想はいったい誰が? 畦地さんのアイデア?
「無理、無理(笑)。うちのブレーンたちのおかげです」その1人、畦地さんが最も影響を受けたブレーンが、高知県在住のデザイナー・梅原真さんである。
やっぱり、梅原さんの存在は大きいですよ」今年、四万十ドラマの商品開発担当から、全体をみるプロデューサーに就任してもらったそうだ。

四万十ドラマが仕掛ける、道路を使った新しい集客交流事業「県境がNICE!!(ないっす)プロジェクト」は、県境を挟んだ自治体が共同で「県境産ブランド」の農産物、加工品、着地型体験商品の開発をしていこうというもの。ここにもマイナスをプラスに換える逆転の発想がある。
国道381号線を四万十町から車で15分走れば愛媛県だ。四万十川流域には両県で併せて7つの道の駅がある。
「よし、愛媛県と一緒にやるぞ」。その畦地さんの言葉を受け、キャッチィなネーミング(プロジェクト名)とコンセプトを考え出したのが、梅原さんの弟子の迫田司さんだ。
「うちは、ブレーンで持っている会社です」
それも地域のことを本気で徹底的に考えてくれる、貴重で優秀なブレーンだ。

3年後をめどに、宿泊事業にも乗り出す。
「四万十分校です。うちの宿でもあり、研修施設にもなる。うちがこれまで培ったネットワークで著名人たちを講師に呼びます。宿はゼロエミッションです。もう画はできています」

1次産業を基盤に2次、3次にも取り組み、「商品」というモノに載せて地域を売っていく四万十ドラマ。その躍進は、明確な地域のビジョンと方向性があって初めて、その手段の1つである着地型観光も活きてくるのだということを改めて気づかせてくれる。

「四万十ドラマは考え方をつくる会社だ」と、畦地さんは言う。
地域資源を見つけ、人材を育て、彼らと一緒に資源を磨いて商品をつくり、産業化の道筋をつくる地域のシンクタンクなのである。